書を捨てよ、町に出よう

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 原典はアンドレ・ジッドの詩文ですが、国内では夭折した天才、寺山修司さんが1967年に上梓した評論集のタイトルとして世に広まりました。寺山は12歳から短歌を詠んだ神童ですが19歳で大病を患い、その後歌人や劇作家としての名声を確立した後、演劇グループ「天井桟敷」を設立したのと同じ32歳の時に書いた作品です。病床で本ばかり読んでいた時に巡らせた思想や世間に対する怨嗟が、文学青年らしからぬ平易な文章でつむがれます。

 『これは、決して進歩のすすめではなくて、むしろ移動のすすめに過ぎないのだが、座標軸を決めてかかった移動には、常に新鮮な視野がひらける。社会閉鎖と「あした何が起るかわかっている状況」への挑戦には、こうした休みなしの運動が必要な時代なのではないか、というのが私の考えである。』米国交換留学中、友人たちと「最も恐れるべきは“predictable future”(予測出来る未来)」と話していた生意気な私にはドンピシャに刺さる言葉でした。

 実はインテリな寺山が、特に劇作家や評論家として取り扱う内容は、ギャンブルやヤクザ、ボクシングやトルコ(今のソープランド)など、刹那的で享楽的なテーマばかりです。医者に止められても極端な飲酒と喫煙を続け、47歳の時に肝硬変で亡くなった彼は、永遠の不良少年になりました。そんな彼に憧れた凡人の私も、もうすぐ齢53を迎えます。若い頃のギラギラした欲望に裏付けられた異常な焦燥感、バイタリティ、そして大切な好奇心を失いつつ。

 過去3年のコロナ禍を経て、すっかり出不精になったことを強く実感します。行政側の制限などがなくても、自宅で済ませられることは済ませてしまう自分は精神的にも老いているのでは、という恐怖も感じます。昔は出張が大好きで、理由もなく外出していましたが、特に猛暑の今はオンラインで全てを済ませる惰性に負けがち。今も少しは残された不良中年スピリットを生かして、迫りくる老いを避けるため、ともかく町に出なきゃ!(T)

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