「まん延防止」という憂鬱

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 「まん延防止」が、全国で適用されるようです。例えば心ある行政機関が「どうせオミクロン感染拡大は防げないので、重症化リスクの高い高齢者や基礎疾患を持つ方々、風邪の症状のある方々は出来るだけステイホームを心がけてください。身体がしんどい人達は、すぐに病院に相談してください。その他の方々は無駄な検査などせず、普通に暮らしましょう」とアナウンスさえしてくれたら、無駄な努力や我慢、飲食店等の被害は減らせる気がします。

 ただ、自由主義の国ですから、政策当局やメディアが国民全体の福利厚生や社会経済を無視してでも、支持率や選挙の得票、視聴率のために「大変だぁ、大変だぁ」と言い続ける姿勢は理解しなければなりません。彼らだって収入や家族を守るために必死なのです。それでも憂鬱になってしまうのは、不正確で美しくない言葉が普通に使われるご時世についてです。私も立派なオヤジですから、コロナに伴う日本語の乱れに一言申しあげたいと思います。

 「まん延防止」という曖昧な言葉が一般紙の一面に踊るこの国は恥ずかしいし、子供の教育にもよくありません。そもそも語感が汚いし、不正確過ぎます。言葉の意味にこだわるコンサル的センスで言えば、「まん延防止措置」は「自治体裁量措置」、「緊急事態宣言」は「国家指令措置」に置き換えるべきです。制度面で両者の違いはそこだけであり、主体を曖昧にするのは卑怯者のやり方です。また、今回は誰もまん延を防止できると思ってないから。

 著作や翻訳等を通じて、正確で品位ある日本語を作った立役者は、福澤諭吉です。“liberty”に「自由」、“competition”に「競争」、“speech”に「演説」といった美しい言葉を当てて世に広めました。福翁ご存命であれば、「まん延防止」などという言葉のまん延を許すことはなかったでしょう。人気歌手が「セカオワ」などと語感の汚い言葉で呼ばれることもなかったはずです。コロナ禍が日本語まで侵食する今を、オヤジの一人として憂いています。(T)

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