「ガストロノミー」の愉悦

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 幸福と快楽の違いを教えてくれたのは、フランス文学者の澁澤龍彦が著した「快楽主義の哲学」という作品でした。彼はエログロもテーマにしてキワモノ的な扱いを受けた作家ですが紛れもない天才であり、「人生に目的などない。曖昧な幸福より、具体的な快楽を」という思想を文章化した方です。彼は文学や音楽、セックス、そして食事に至るまで、愛情や主観、社会性に左右される価値を全否定することで、芸術本来の意味と意義を追求したのです。

 遠足で山に登って食べたおにぎりやアウトドアのバーベキューなどは幸福の象徴ですが、澁澤さんの論理で言えば「美味しい」という快楽の定義には当てはまりません。食事がもたらす快楽は客観的な技術と美意識の産物であり、フランスのブリア・サヴァランが「美味礼賛」で描いた芸術としての食事、「ガストロノミー」を求めることだけが、快楽主義のお作法になります。その論旨は明確ですが、当時10代の私には納得感が全くありませんでした。

 ただ、齢55を迎えいずれ迎える死もリアルに受け止めざる得ない今では、彼の哲学が理解できています。勿論、毎日食べる食事なら鯖の塩焼きや味噌汁とひじきみたいな家庭料理が嬉しいことは変わりません。でも、「死ぬまでにあと何回元気に飯食えるんだっけ?」と真面目に数えると、芸術的な食事を愉しむ機会への欲望も膨れてきました。昨今は出来るだけ、天才シェフ達が作りだす特別な食事の機会を増やすための努力をしています。

 写真はドバイのOSSIANOという星付きレストランで食べたアミューズです。例えば左下の牡蠣は牡蠣を材料に殻まで食べられるよう再構築・調理された一品で、その味わいは生牡蠣よりも牡蠣を感じる芸術作品。時も場所も自我さえ忘れる程の至高の味でした。ただ、こうしたレストランには家内と一緒でないと行けない私は、本当の快楽主義者にはなれないかも。それでも幸福と快楽、どちらも追及できる成熟した大人にはなりたいです。(T)

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