昭和20(1945)年9月、戦後第1作目の映画「そよかぜ」の主題歌である「リンゴの唄」は、戦後の混乱に生きる勇気と明日への希望を全国に歌いかけたということで、歌ったのは歌手の並木路子さんです。その唄の歌詞ですが、
赤いリンゴに くちびる寄せてだまって見ている 青い空リンゴは何にも いわないけれどリンゴの気持ちは よくわかるリンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ≪リンゴの唄 歌詞より抜粋≫のちに「リンゴによく似た可愛いい娘」というフレーズが出てくるので、冒頭の歌詞は愛しの女性に口づけをしている描写だと想像されますが、続く歌詞は「だまって見ている 青い空」戦火に染まった空ではない当たり前の青空を、ただ黙って見つめる。そんな平穏なひとときを過ごす物言わぬ「リンゴ」は、ひたすらに目の前の幸せを噛み締めているように感じられます。あるいは、亡くなった家族や友人のことを想っているのかもしれませんね。確かに歌詞から戦後の日本の状況が分かるように感じます。さらに2番の歌詞になるとあの娘よい子だ 気立てのよい娘リンゴによく似た 可愛いい娘どなたがいったか うれしいうわさ軽いクシャミも トンデ出るリンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ≪リンゴの唄 歌詞より抜粋≫リンゴのように可愛らしい、気立てのよい「あの娘」。誰からともなく流れている彼女に関する「うわさ」は、主人公にとって嬉しい内容だったようです。もしかしたらその「うわさ」は、愛しい「あの娘」が自分のことを好いているといった恋愛話のたぐいだったのかもしれませんね。飛ぶように伝わっていく浮いた話に「軽いクシャミも トンデ出る」。くしゃみが出るたび、主人公は自分と「あの娘」についてうわさされていると感じて良い気分になっているのでしょうか。恋愛話にうつつを抜かすことができる日常も、1つの平和の象徴だといえそうです。
つついて3番の歌詞をですが、
朝のあいさつ 夕べの別れいとしいリンゴに ささやけば
言葉は出さずに 小くびをまげてあすもまたネと 夢見顔
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ≪リンゴの唄 歌詞より抜粋≫
「朝のあいさつ 夕べの別れ」からは、日中主人公が愛しい “リンゴ” と同じ職場(あるいは教室など)にいることが推測できまが、。
言葉を交わさずに小首を曲げて「あすもまたネ」と伝えることからも、二人の親交が深いことがうかがえますね。
彼女の顔が「夢見顔」に見えるのは、自分のことが好きとうわさで聞いたからでしょうか。
お馴染みの「リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ」には、“リンゴ” に対する愛くるしさはもちろん、“リンゴ” と一緒にいられる日常へのときめきもいっそう強く感じられます。
最後の4番の歌詞は、
歌いましょうか リンゴの歌を二人で歌えば なお楽し
皆なで歌えば なおなおうれしリンゴの気持ちを 伝えよか
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ≪リンゴの唄 歌詞より抜粋≫
これまでは登場人物が限られていましたが、4番では私たち全員を巻き込むように歌詞が展開されています。
「二人で歌えば なお楽し 皆なで歌えば なおなおうれし」。
親しい恋人、ご近所さん、日本中の人々へと、愛と平和の輪がどんどん広がっていくようなイメージが湧いてきますね。
「リンゴ」という比喩は、私たち一人一人にとって大切で愛おしい人すべてを意味しているのかもしれません。
上機嫌で表情が明るい男性、純粋な恋にポッとなる女性、真っ赤なほっぺたの子供たち。
誰も彼もが別の誰かにとっての愛しい「リンゴ」であるなら、「リンゴの気持ち」は他でもない自分自身の気持ちでもあるのかなと思います。
大切な人の愛おしさ、平穏な日常の尊さを伝え合い、歌い継いでいくことが『リンゴの唄』における理想の世界なのかもしれません。
『リンゴの唄』の歌詞は、大人も子供も親しみやすいフレーズで愛や希望がつづられた心温まる歌詞ですよね。
美しい青空やちょっとしたうわさ話のような、現代社会では忘れがちな尊い日常のひとコマも強く認識させられる楽曲と思います。
ちなみに、戦後間もない頃の市民にとって「赤いリンゴ」は憧れの高級食品だったそうです。
そんな「リンゴ」も今では当然のように身の回りで見ることができます。
小さく可愛らしい、それでいて尊い「リンゴ」。
「赤いリンゴ」は、私たちへ日常の尊さを表すと同時に、豊かな未来への希望を象徴しているように思えます。
皆さんはどのように感じましたか.
SS