歴史的で劇的で感動的なWBC優勝に、日本中が沸いた今週でした。決勝戦では登板しないと思っていた大谷選手が最後の最後でマウンドに上がったのも、9回表アメリカの攻撃で最後大谷選手対トラウト選手が実現したのも、もちろんこれまでの村上選手の劇的ホームランも、「えっ、本当に起きちゃうの!?」が連続で奇跡的に起こった数日間だったのではないでしょうか。決勝戦、9回を観ながらずっと頭に浮かんでいた言葉は「事実は小説よりも奇なり」。
最近私はChat GPTやその機能を搭載したMicrosoft 検索エンジン「Bing」にはまっているのですが、使っているときの感覚はまさに「奇なり」。質問の仕方に工夫がいる場合もありますが、「え、こんなことも答えられるの?」という質問にも、まるで人間が答えているかのように流暢に答えてくれます。MDにわざわざ録音していた音楽を小さい手元の機械で聴ける体験を味わった、あのiPodを初めて使ったときの感覚と同じ感覚・・・テクノロジーの飛躍を体感したときの感覚を日々味わっています。
もちろん、宇宙に飛び出したり恐竜と戦ったり、SFチックな設定は小説や映画の方がスケールも大きく現実離れしているのですが、現実世界を生きている我々にとっては、日常の延長線上からは考えられないような出来事が起きたとき、思わずこの言葉を使ってしまうのかも知れません。思い返せば、これまでの人生も分かれ道の連続だったわけで、今生きていること自体、不思議なことですよね。もうすぐ新年度、今までの人生よりもっと小説を超えた奇妙で刺激的な毎日を過ごしていきたいと思います!
元々はこの言葉、イギリスのロマン派詩人バイロンの長編詩「ドン・ジュアン」に由来するそうです。詩自体はスペインの伝説上の人物ドン・ファンの愛と冒険の物語を書いた作品で、例のことわざは詩の冒頭に書いた献辞に出てきます。最後に原文の中から、該当箇所をどうぞ。
‘Tis strange – but true; for truth is always strange;
Stranger than fiction: if it could be told,
How much would novels gain by the exchange!
How differently the world would men behold!
奇妙だが – 本当だ; 真実はいつも奇妙だ
小説よりも奇妙だ: もし話せるなら
どれほど小説が得をするだろうか!
どんなに違って世界を人々が見るだろうか
SY