暑い夏がやってきた。いつもの夏なら故郷では、「ねぷた祭り※」が開催され、大いに盛り上がる季節であるが、今年も昨年同様新型コロナウイルス感染拡大により、中止となった。(※弘前地方はねぷたまつり、青森地方はねぶたまつりという。「ぷ」と「ぶ」が違う。)
【開催中止】弘前ねぷたまつり2021|青森弘前:弘南鉄道株式会社
2021年8月1日(日)から7日(土)まで開催を予定していた「弘前ねぷたまつり2021」新型コロナウイルスの感染予防と拡大防止の観点から開催中止することが、2021年5月27日に弘前市から発表されました。
青森ねぶた祭 オフィシャルサイト
人の命を何よりも優先して守ることの対応の判断であり、当然だと思う。ここでやっぱり納得いかないのが、同時期に開催されている五輪は行われている。昨年(2020年)は、同じように新型コロナウイルス感染拡大により、人命第一で、五輪も延期、伝統の祭りも中止の判断となった。それは国民も理解し我慢したことと思うが、今年(2021年)は違う。五輪は、多くの国民が開催延期または中止を要望しているのに、感染対策をしながら開催することになった。尊い人命への思いはどこかに置いてきぼりにされた感はだれしも思うところである。五輪はやるけど、伝統の日本の祭りはやらない。いくら考えても納得いかない。中止と実施の理由、判断が明確でないからに他ならないが、もともと日本人は、あいまい(ファジー)なことによる決断をしてきたように思う。そのほうが人間関係で居心地がよく、丸く収まりやすいと思う国民性なのでしょうか。しかし、未来のロボット社会においては、人間のあいまいな判断はロボットには判断しにくく、特に、人間の官能、五感についてのAI等機械化による数値化(1と0の世界観表現)による判断が分かれ目になるように思う。未来のロボット社会では、今回のような新型コロナウイルス感染拡大での状況の中で、五輪や祭りなどイベント開催等の判断は、どういう結論をだすのでしょうか。少なくともあいまいな判断はしないと思うので。
SS