私の主観で国内随一のものがたり作家は、伊坂幸太郎さんです。勿論、素晴らしい小説を書く作家さんは他にも沢山いますが、浅田次郎さんや宮部みゆきさんなど多作のストーリーテラーと比べても、自分なりの世界観からはみ出すことなく、安定した作風で読者の期待に応え続けるという観点からはスティーブン・キング並の凄い作家だなぁ、と感じています。殺し屋や死神といったお馴染みのモチーフをベースに緊張感を高め、登場人物の会話にユーモアを込めつつ、倫理観とニヒリズムを自然に両立させる不思議なものがたりを書き続けています。
そんな天才に対して失礼ながら、先日読んだ「AX」という小説はイマイチと言わざる得ません。「AX」というタイトルはかまきりの斧のことで、自分より大きい動物にも無駄に構えたり、最後は雌に食べられちゃったりする哀しい男のメタファーのようですが、この作品は大ファンの私にもさえ刺さりませんでした。既に確立したフォーマットの面白さに甘えて、技術的なお作法に頼って書いた作品なのかもしれません。素人の分際で生意気ですが、例えば「重力ピエロ」のような彼の最高レベルの作品が持つ説得力が、全く感じられませんでした。
作家も職業である以上、コンサル屋と同様に、〆切りを守るために自ら編み出したものがたりの作法で継続的に商品を生み出し続けなきゃならないことはよくわかります。だからこそ、高校の大先輩でもある赤川次郎さん、昨今では東野圭吾さんなどの技術だけで書けるミステリー作家は超多作であり、海外でも古くはアガサ・クリスティさんや近くはロバート・パーカーさんなどは、商業的に大成功を収めました。ただ、読者だってバカじゃありませんから、それだけではいずれ飽きられるのです。我々も他山の石として気を付けなければなりません。
その後考えたのが「自分が一番好きな小説って何だろう?」ということ。結論は、夏目漱石の「坊っちゃん」でした。ワープロがない時代にほぼ校正無しに1週間で書かれた作品ですが、「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」にはじまり「だから清の墓は小日向の養源寺にある。」との結びまで、美しい日本語が織りなす最高の小説です。(https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/752_14964.html)落語に精通した漱石だからこそ書けたものがたりでしょうが、お作法よりも何だか暖かくて真摯な想いが、現代にも伝わってきます。(T)