素材産業は、従業員数約120万人、事業所数約3万所、製品出荷額約56兆円、付加価値額約20兆円を誇る我が国の基幹産業である。
しかし、素材産業を取り巻く状況は前途洋々とは言い難い。製品ライフサイクルの短期化や新興メーカーの参入、大手メーカーの大規模投資など素材のコモディティ化が加速しているからである。コモディティ化により我が国が得意な高付加価値素材の市場価値が低下し、素材の持つ機能や品質、ブランド力での差別化が難しくなりつつあり、価格や供給量での競争を強いられるに至っている。国土が狭く、ユーティリティコストの高い我が国の素材産業が世界と渡り合う競争力を維持し続けるためには、絶え間なくイノベーションを起こし、これまでにない価値を生み出し続けるほかない。
本稿では、イノベーションの父、シュンペータが提唱したイノベーション5分類、新しい「製品」「製法」「市場」「原料」「組織」の区分にしたがって、素材イノベーションについて検討してみたい。
新しい「製品」と「製法」は素材産業では最も理解しやすいイノベーションの類型である。素材メーカー各社の研究開発や生産技術部門が主に担当しており、現在も他の追随を許さない高い技術力を背景とした高品質・高エネルギー効率・高付加価値の製品が日夜生み出され続けている実績の積み上げは心強い。
次に、新しい「市場」の開拓は、グローバルな市場動向を理解するところから始める必要がある。国内市場に目を向けると、メーカー各社の生産拠点の海外移転を背景に素材市場の縮小トレンドが続く可能性が高い。一方、海外市場は中国をはじめとする新興国中心に順調な拡大傾向にある。素材産業各社は、国内における全く新しい市場の創出と積極的な海外市場への参入という2つの方向性での市場戦略検討が求められる。
また、資源矮小国の我が国では、主要な「原料」が海外からの輸入頼みであること自体がサプライチェーン寸断リスクに他ならない。特に昨今、地政学的なリスクがかつてなく高まっており、原料確保体制の脆弱性は企業のレジリエンス低下に直結する。このような状況では、可能な限り地場からの原料調達を拡大することで「地域サプライチェーン」を構築することが望ましい。物流コストの低減やリスク評価や管理の精度向上という観点からも、大きなアドバンテージとなりえる可能性を秘めているからである。
さらに、新たな価値を生み出し続けるには「組織」の在り方も見直す必要がある。これまでの職能別階層的発想に基づく組織と職位に紐づいた役割分担からイノベーションの創出は困難である。他産業と同様、新たな価値の創出には素早い意思決定とそれに応じた個人の自由度・裁量の拡大が不可欠となる。具体的には、少人数かつ多様な形態のチームのクラスターからなるフラットな組織へと転換することが望ましい。社内・地域ベンチャーの立ち上げなども市場機会の獲得には有効であろう。
行き過ぎたコモディティ化は市場の新陳代謝を阻むことで、当該産業本来の魅力を失うリスクが高い。素材イノベーションは、コモディティ化に対抗する数少ない手段の一つであり、素材産業を次のステージに昇華させる力を秘めている。
坂巻 邦彦